鎌倉時代の元寇の際、天草太夫大蔵太子という女傑が水軍を率いて出陣、諏訪大明神の御加護により、輝かしい戦功をあげたました。大蔵太子は神恩に感謝し、弘安六年(1283)天草氏領土内の総鎮守として山口の里に信濃の国の御本社より御分霊を報じたのが本神社の創始とされています。
その後天草島原の乱で社殿が焼失、代官鈴木重成公は神社仏閣の普及に努め、寛永二十年(1643)現在地に新社殿を造営し遷座しました。
社殿前の参道に並ぶ「子抱き獅子」は全国的にも珍しく、子授け、安産、家内安全、子孫繁栄の象徴として信仰され、親しまれています。また樹齢200年を超える御神木の大蘇鉄は、見事な枝ぶりで、春には自生した蘭が花を咲かせ、見るものを楽しませます。
そのほか、牛深出身の力士栃光の像と力石、夫婦子供の獅子狛犬、境内社の恵比寿神社など、見どころが満載です。
毎年11月1日から7日には「例大祭 本渡の市」が催され、威勢のよい神輿や子供神輿、稚児・大名行列が町内を練り歩き、境内には植木市、露店市が立ち並び、各種行事が行われ、天草最大の賑わいを見せます。また夏秋には恵比寿神社の恵比寿祭りが盛大に行われます。
諏訪大神の御守護、ご神徳が、天草の繁栄の原動力となったことから、現在でも人々の守り神として篤く信仰されています。